面白かった〜 |
一言でいえば、「人間、米谷美久」を感じることができたトークショーでした。オリンパスのカメラの歴史を辿りながら、新米エンジニアとして1980年前後にオリンパスに入社した二人が、当時の技術やPENとOM-1で既に時の人だった米谷美久氏とのエピソードを振り返る構成です。
カメラに興味を持って入社したものの・・ |
久米英明氏(左)は、フィルムカメラ、フラッシュ、OM-4Tiのモータードライブなどの開発を担当。もうすぐ定年を迎えます。小笠原裕司氏(右)は、E-3開発、創立90周年「スペース・プロジェクト」のリーダーを担当された方で、現在はオリンパスプラザ東京勤務です。この頃のフォーサーズシステムに興味を持った人は多いのではないだろうか(私もその1人です)
お二人は、OM-1N〜OM-2N開発の頃にオリンパスに入社。当時は、メカ設計者が30人弱、電気設計者が3人のメカ全盛時代。米谷美久氏が45〜47歳の頃のお話からスタートです。
”マイさん”との思い出
米谷氏の人柄は気さくで、ドラフターで図面を書いている部下を後ろから肩を揉みながら「いい子は見つかったか」と頻繁に声をかけたり、当時乗っていたトヨタのクレスタで家に送ってくれたりと面倒見のよい人だった。
一方で、開発・設計に妥協は一切なく、若手エンジニアの仕事が水準に達していないと絶対にウンと言わず、必ず「やれい!」と発破をかけるのが口癖でした。小笠原氏は、ストラップのデザインをOKしてもらえるまで半年かかったこともあった。だからみんな”マイさん”という愛称で呼んでいたが、久米氏は若手の中で文句を言うときはM氏と言っていたそうだ(笑)その結果として、後にフォーサーズやマイクロフォーサーズが誕生した訳だから「ありがとう、”マイさん”」と言わずにはいられない!w
社内の写真教室では一度も写真を褒めてもらえなかった小笠原氏が、”マイさん”が亡くなる10日ほど前に、発売前のPEN E-P1を自宅に届けて褒めてもらえたエピソードは少し目頭が熱くなりました。
米谷美久氏の哲学
- 「技術の壁」を超えてこそユーザーの心をつかむ製品が生まれる
- 常時携帯できるカメラなら決定的な瞬間をのがすこともないはず
- 150パーセントの力を発揮すれば必ず一歩先を行くことができる
- 信念をもって踏み出せばピンチをチャンスに変えることができる
- 「小さいから」の既成概念を超えて従来の半分にしようとチャレンジする
製品の操作性を維持したままどこか20%小さくすると、お客さんは違う製品と認めてくれる。だから若手エンジニアの提案を聞いて「20%か?」と言うのが口癖でした。
当時の技術解説では、セレン太陽電池で動作するエコなペンSから始まり、写真好きだった米谷部長の方針からOM-4で「マルチスポット測光」や「スポット測光ハイライト/シャドウコントロール」が誕生した話まで盛りだくさん。米谷氏が現場復帰して考案した「XA」のスライド機構の衝撃や、銘玉「ZUIKO AUTO-MACRO 90mm F2」のレンズ設計者は小林さんという女性の方というこぼれ話も「へぇ」と思ったり。
米谷美久氏の「この世にない物を作る」という哲学と開発チームの誇りが垣間見えた。その技術は、現在のオリンパスのデジタルカメラにも脈々と受け継がれている。
90周年「スペース・プロジェクト」の記念品 |
会場は立ち見の方もいて大盛況。オリンパス100周年記念だったトークショーですが、満場一致でこのようなイベントを今後も定期的に開催することが決定しました。
今回は”マイさん”と関わりのあったメカエンジニア中心のお話でしたが、営業やデザイナー、製造関係者の意見も聞かないと公平ではありませんね(笑)昔の製品であれば、今だから話せることって結構ありそうです。E-3誕生の経緯や初代E-M5の開発裏話なども、是非聞いてみたいです。司会の方が「今回のイベントの写真はSNSなどでどんどん使ってください」とおっしゃっていたので驚きつつも記事にしました。会社の後輩のために身を削るなんて簡単にできるものではありません。色々と不安になるニュースが多いですが、オリンパス開発陣の奮起を期待したいところです。
ズイコーフレンドクラブ|OMデジタルソリューションズ
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写真:OM-D E-M1 Mark II + LUMIX SUMMILUX 25mm F1.4 II
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